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'98年7月24日号






■町内会

報告書
・マーク・パンサー物語というかなり泣ける内容のマンガを夢の中で読んだ。/大阪府 リツコさん大好きッ子
・俺の犬は視聴覚室の匂いがします。/愛媛県 薦田拓大
・俺が指を鳴らしたらスズメバチが集まってくる。/長崎県 腹男
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通巻500号記念対談 ファミ坊×浜村通信 | '98年7月17日号






■エクスプレス

キミはもう見た? セガの最新CM
クルマに乗ろうとするおじさんの耳に、小学生の会話が聞こえる。
「セガなんてダセェよなあ。プレステのほうが、おもしろいよなあ」
おじさんの名前は湯川英一。役職は専務。小学生の会話にショックを受けた専務は自暴自棄になり、バッティングセンターでウサを晴らし、あげくの果てにはちんぴらと喧嘩。ボロ負けして家に帰るのだった……。なんてCM見たことない? じつはこれ、オンエア中のセガの企業CM。


■TOP30

1 XI[sai] [NEW]
2 コンビネーションサッカー Jリーグの監督になって世界を目指せ!! [NEW]
3 ワールドサッカー実況ウイニングイレブン3 ~World Cup France '98~
4 ラングリッサーV ~ジ エンド オブ レジェンド~ [NEW]
5 FIFA ROAD TO WORLD CUP 98


■悶絶! 500号!!

ゲームとファミ通の12年をプレイバック

過去の人気コーナー大復活!
どどんごファクトリー
獣神サンダーライガーのトラブルスープレックス
スチャダラパーのバグってSDP
カーリー西条のゲーマーズキッチン
香山クリニック 尻に目薬 目に座薬
しあわせのかたち



新旧2大編集長 通巻500号記念対談

ファミ通を創った男と、育てた男の対談。いろいろあって、同僚からライバルへとその関係を変化させたふたりの対談。誰もがムリだと思っていたこの大型対談が、なんとあっさり実現。

――まずは創刊のころの苦労とか聞きたいんですけど。
塩崎 創刊の苦労……、ないよ。僕らの部署、社内で村八分だったからね。勝手にやってたよ。
浜村 会社内では認知されてませんでしたよね。
塩崎 そう、まわりにはどうでもいいと思われていたから自由に創れた雑誌だったけど、そのかわり儲けについては厳しく言われてた。
浜村 僕そのころアスキー内の別の部署にいたんですけど、ログインとかってもう、完全に治外法権。もう誰も手をつけられない、不可侵領域みたいなところでしたね。
塩崎 誰も手をつけられないっていうか、手をつけたいとも思ってなかった。どうでもよかったんだ。適当に儲けを上げてくれるし。
浜村 で、僕はもうよそに行くつもりで辞めるって言ったら、「こっちの部署にこないか?」って言われて。いろんな人とメシ食いに行ったとき、僕ログイン行くつもりだったんだけど、塩崎さんと「創刊するんですか?」なんて話をしてたら「気があってるみたいだし、浜村は塩崎のとこな」って言われて、ファミ通入ることになった(笑)。塩崎さんといっしょにいなかったら僕、ログインに行ってたよね。
――運命を分けた瞬間ですね。
塩崎 単純にファミ通に人が足りなかったんだよ。だから、誰でもいいから欲しかったんだよね。そこによく働きそうなヤツが来たから、ちょうどよかったんだよ(笑)。
浜村 創刊号のあたりって、『ドラクエ』の竜王を載せて大騒ぎになったんですよね。
塩崎 それは2号。4ページスッパ抜いたんだよ。太陽の石の位置まで書いちゃって、全部。
浜村 あれって、メーカーに無許可だったんですね。
塩崎 うん。それで堀井さんにも怒られたし。でも創刊号ぜんぜん売れなかったからさ、しょうがなかったからね、やったんだよ。でも、この第2号があったからこそ現在のファミ通の地位があるようなもんだよ。だってさ、ふつう創刊号のつぎの号って売れ行きけっこう落ち込むんだけど、『ドラクエ』載せたおかげで2号が創刊号の倍近く売れたんだよ。
浜村 でも、よくあのとき人間関係壊れなかったですよね。
塩崎 壊れたよ。
浜村 ははは(笑)。でもいまでも堀井さんとは仲いいじゃないですか。
塩崎 堀井さんとは仲よかったけど。このせいで、集英社出入り禁止になっちゃったんだよね。

――週刊化のときはどうでした。
浜村 週刊になるときはたいへんでしたよね。
塩崎 いや、僕あんまり週刊にする気なかったんだよ。
浜村 いまだから言えるんだけど、PCエンジン通信っていう雑誌を立ち上げるか、ファミコン通信を週刊にするかどっちにしようかって、塩崎さん僕に聞いてきたんですよね。で、当時世の中に週刊のゲーム雑誌なんてなかったし、よその真似もヤだから、僕は週刊化したほうが世間はビックリしますよね、って言ったんですよ。
――PCエンジン通信!!
塩崎 それでけっきょく編集部の人間全員に聞いたんだよ。どっちのほうがいいかって。そしたらみんなね、週刊にしようって言うんだよ。みんな大賛成だったんで、もうそこで一発で決まっちゃった。
浜村 それでとりあえず週刊化の準備を進めていくんだけど、やってるうちにみんな疲弊していって。塩崎さんがこの調子じゃダメそうだから、週刊化やめようか、って言ったんですよね。一度。
塩崎 そうだっけ?
浜村 うん。飲み会のときに言ってた。週刊化の準備でみんな必死になっててボロボロで、そこで塩崎さんがこんなにみんなしんどいんなら週刊化やめようかって言ったの。そしたらみんな怒って、詰め寄っていったことがあったじゃないですか。そんなこと言うんなら、最初から週刊化なんてやめればよかったんですよって。いままでの苦労はなんだって。ここまでがんばってきたんだから、週刊にしましょうって僕とか渡辺(美紀)とかがね、突っかかっていったの。そしたらそうだね、じゃあやろうかって。再度決まって。
――おお、なんか感動秘話っすね。スポ魂モノみたいだ。
塩崎 でも当時は賭けだったよね。
浜村 賭けというより、「バカだ」ってまわりから言われてましたね。でも週刊にしてよかったですよ。いま思えば。それはホントに思う。
塩崎 いま思えばね。やっぱり雑誌は週刊か月刊がいいと思う。ファミ通出したときって、ファミマガがあって、二番手にマル勝があって、三番手が必勝本で、ファミ通は四番手の雑誌だったんだよな。いまやもうみんないなくなった。
浜村 ホントだ、ないですね。血筋が残ってるのはウチだけだ。
塩崎 いまのファミ通を築き上げた5つの理由があるとしたら、そのうちのひとつは週刊化。あとは第2号の『ドラクエ』スッパ抜きだよ。
浜村 あ、なんか記事まとめやすいようにキーワード与えてますね。あと3つはなんですか?
塩崎 知らない(笑)。


両者ひさびさの再会とあって、昔話に花咲きまくり。対談終了後も、「飲みましょ」とふたりで夜の街へと消えていった。

田中麗奈 | '98年7月10日号






■アイドルスタジオ

田中麗奈



'98年7月3日号






■町内会

報告書
・オレは昔、妹にドラクエエンピツで太股を刺されたことがある。/愛知県 目に気合い
・この子の主体性のなさは、『タモリ倶楽部』の影響ね。/東京都 ユビヒコ
・中学のとき、クラスの女子の一部が、“バスで光GENJIをかけてくれないなら修学旅行に行かないストライキ”という事件を起こした。/京都府 コーダイ

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