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僕にとっての知識と娯楽 | '97年2月28日号





■TOP30

1 ファイナルファンタジーVII [NEW]
2 EVE burst error
3 ゲームボーイギャラリー [NEW]
4 I.Q.~インテリジェント キューブ [NEW]
5 プリンセスメーカー ゆめみる妖精 [NEW]



■バインダー式やったふり道

ゲームの知識がすぐに身につく!!
1日15分で見る見るシロウトがゲーマーに!!





[※何回か続いた『やったふり』シリーズ。これは風のように永田企画(本人に訊いたわけではないが、ファミ通マニアの目で見切った)。90年代後半ともなると、単発のバカ記事・ネタっぽい企画は誌面に登場する機会もずいぶん減り、よしんば載っていたとしても基本的におもしろくなかったが、まれに「今週はなんかおもしろかった」というときがあって、そういう場合はたいがいこの人が書いてるものなのだった。なんか『野球のヤジとゲームをグラフで比較する』みたいなやつとか(これは風永さんに会ったとき確認したら自分の企画だと言ってた)。この号からほぼ1年後には、編集者KN名義での伝言板担当と並行して『ゲームの話をしよう』の連載も始まり、ファミ通は硬軟両方の面において、もうほとんど風永が主役みたいな様相を呈してくる(おもしろ要素だけでいえばチップス小沢やポルノ鈴木あたりも活躍)]

[※↑マニアの目で見切った、などと自信満々に書いてしまったが、バカタール加藤っぽい気もしてきた。わかんないや。すみません]


■クロレビ

(野田、水ピン、永野、ローリング内沢)

糸井重里のバス釣りNo.1
7 6 8 7
竿と糸の動きがリアル。魚との格闘時はメーターも重要だが、竿と糸の動きの見極めも重要で、より本物っぽい。使う道具や状況によってコツが違う本格派だが、解説が豊富なので知識なしでもイケる。収集欲をかき立てる演出は○だが、全体にグラフィックや展開が地味なのは難点。(水ピン)

忍者じゃじゃ丸くん 鬼斬忍法帖
6 3 5 4
フルポリゴンのグラフィックが、なんだかひどく粗雑。前方のポリゴンが欠けていて目の前で現れたり、プレー中に支障まできたすのは閉口。設定はキチンとしてるが、どの的も大差ないのは悲しい。左右を向いたときの操作法が複雑。攻撃中は移動できないなど、爽快感にも乏しい。(水ピン)

チャルボ55
6 3 5 4
主人公を中心に画面全体が激しく上下に揺れる。この基本システムがくせ者。ゲームボーイの液晶画面では、残像がひどく状況がわかりにくい。かといって、スーパーゲームボーイムケにカラーに対応してるわけでもない。セレクト+十字ボタンを多用するが、瞬時に押しにくいのは難点。(水ピン)


■インプレ

不思議のダンジョン 風来のシレンGB ―月影村の怪物―

僕にとっての知識と娯楽

小説を読まなくなって久しい。決して小説嫌いというわけではない。小学生のころは図書館によく通ったし、学生時代は1時間弱の通勤時間(※ママ)に文庫本を開くのが習慣といってもよかった。だが、いまは小説を読まなくなって久しい。
いちばん小説を読んだのは大学に入ってからの数年間だと思う。二十歳のときに上京した僕は、たぶん同じような境遇にある人の多くがそうであるように、ひどく自分がものを知らないような気がしていた。人が当たり前のように話す本や、映画や、音楽がとても気になった。それで僕は大学時代のほとんどを知識を増やすことに費やした。バイト先のレンタルビデオ屋から毎日ビデオを借りて帰り、生活費以外のバイト代はほとんどCDに使った。好きな作家の本は全部読まないと気がすまなかった。
そして数年後、僕の興味は知識から離れた。壁の棚が本とCDでいっぱいになったとき、僕はただ知識を増やす過程を楽しんでいただけだということに気づいたのだ。知れば知るほど知らないことが気になる。それでまた知ろうとする。知る作業が楽しめるうちはいいが、ある日疑問に思えてくる。自分は本当にこの本が読みたいのか、買ったCDを一度聞いて棚に並べるという作業がなんになるのか、と。知識は、それ自体では無意味だ。
知識の吸収から離れた僕の興味は、急激に娯楽へと向かった。好きな監督の初期のモノクロ映画を眠さをこらえて無理に観ることをやめ、話題作をのんびり観るようになった。知らないことに飛びついていた僕は、楽しいことに飛びつくようになった。本や映画に限らず、楽しそうなものにはなんでも手を出した。本格的にゲームをやりだしたのもこのころだ。
映画と音楽はいまでも娯楽としてよく観たり聞いたりする。だが、小説は圧倒的に読まなくなった。これは完全に“僕にとって”という個人的な意見だが、小説は娯楽としてはうまく機能しないのだ。たぶん、小説という進化しない形態が、娯楽としては僕にとってリアリティーを持たないからだと思う。
ゲームボーイと『シレンGB』の購入は、僕の娯楽生活に大きな変化をもたらした。何よりも、あのくそ忌々しい電車の待ち時間がまったく気にならなくなった。数年まえなら本を開き、知識吸収に励んでいたのだが、それをやめてから電車の待ち時間は苦痛でしかなかった。ところが、ゲームボーイと『シレンGB』があれば、どんな場所でも娯楽に向かうことができる。画期的だった。そしてそれは、僕にとって圧倒的にリアリティーのある娯楽だったのだ。
そもそも『シレン』は、外でプレーするのにとても適している。反射神経や、正確な入力が要求されるわけでもない。壮大な世界観もないから、電源を入れていつものダンジョンを見れば、すぐゲームに没頭できる。電車が駅に着けば、ほぼどんな場面でも電源を切ることができる。合成の壺がおにぎりにされたときなどに「ぁ!」とか、小さく叫んだりする難点はあるが、もっと電車に乗っていたいというほどに『シレンGB』は楽しい。
僕は『シレンGB』をプレーするとき、攻略本などを見ないことに決めている。知識吸収時代の僕であれば、あらゆるデータを参考にして一刻も早くクリアーし、ゲームボーイの名作ソフトをそれこそ片っ端からプレーしていっただろう。だが、いまはそれをしない。僕にとって『シレンGB』とは、ゲームとは、娯楽であり、絶対に、“知るもの”ではなく“楽しむもの”なのだ。僕は『シレンGB』をまだ完全にクリアーしていないが、この楽しみが続くなら、ゲームボーイのソフトは、一生『シレンGB』だけでもかまわないとさえ思う。
電車のなかでは、ゲームボーイを手にしている大人は僕くらいなもので、多くの人は本を手にしている。そういう人たちがときどきチラチラ僕のほうを見たりするが、もちろん僕はまったく気にしない。その人が本によって知識を吸収しているなら僕にとっては無意味なことだし、娯楽として楽しんでいるならゲームボーイと『シレンGB』のほうがよっぽど高性能だ。娯楽の性能は高いほうがいい。
そんなわけで、僕は今日も電車に乗りつつ娯楽を楽しむ。女子高生が持っているちっちゃいやつよりも、少しだけ高性能な娯楽マシンを持って。だから、もしも君が知識の吸収に疲れているなら。
書を捨て、ゲームボーイと『シレンGB』を持って旅に出よう。
(風のように永田)

(関連記事)
“勝負”を覚えていますか/97年10月17日号
しゃべるように戦おう/96年10月11日号


■特報 ファイナルファンタジーIV

いま、なぜ『IV』なのか? 徹底追求インタビュー!!

――まずは、『IV』の移植を決意されたいきさつをお願いします。
坂口 やっぱり昔やったソフトをプレイステーション上で見てみたいというか、最初はただそれだけですね(笑)。CDのかたちで手元に置いておきたいという、きっかけはほとんどコレクター的な欲求といえるでしょうね(笑)。

――『IV』のストーリーで、好きなイベントシーンなどはありますか?
坂口 パロムとポロムのシーンは、最初に僕が書いたシナリオには入っていなかったんですよ。ストーリー的に、ちょうどぐるっと回って最初のバロン城に戻ってくるところでしょう。ここでひと盛り上がり欲しいねということで、時田か追加したシナリオなんですが、僕はそれを知らなくて、だから初めて見たとき驚いて、感動しちゃったんですよ。おお、パロム、ポロム! みたいな(笑)。あそこは、ユーザーの受けもよかったみたいですね。

――ほかに、『IV』のストーリーで印象に残っているところは?
坂口 『III』『IV』『V』あたりのストーリーって、けっこう自分の個人的な経験から浮かんだものをそのまま出しているところがあるんですよ。あらためて『IV』をプレーして思ったのは、あのころ僕は会社に対してどこか批判的な部分があったんだな、ということですね。セシルは、国家という組織に巻き込まれているわけでしょう。組織に疑問を抱きつつも忠誠を誓い、ダークサイドに身を染めている。そういうところが、会社という組織に属することとものを作ることの矛盾を抱えていた当時の自分を見ているようで、おもしろいですよ。

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