スポンサーサイト


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ゲームデザイナーの履歴書 遠藤雅伸 | '94年1月7日・14日合併号・前編






[※この号は2回に分けて紹介します]



■エクスプレス

ウルトラ豪華でスーパー絢爛 これが890万円の輝きなのだ
ジャジャン!! 当初、一部の報道では "金のゲームボーイ" と報じられていたんだけど、じつはゲームギア専用のケース。デビッド・モリス・インターナショナルという会社が作ったものなのだ。写真を見ればわかるように、ゲームギアをすっぽりと収めるホルダー型になっていて、外装は18金製。+ボタンやスタートボタンなどに散りばめられたダイヤモンドは合計46カラット!





■クロレビ

(野田、鈴木ドイツ、永野、TACOX)

サッカーキッド
6 3 4 3
ハヤリのサッカーゲームかと思いきや、ボールを蹴って敵をやっつけるアクションでした~! このインパクトは新鮮なのだが、中身がどーも。ボール蹴ったら見失うし、横スクロールアクションで、+キーの上でジャンプという設定は不適では。とにかくストレスたまりまくり。(ドイツ)

魔天の創滅
5 4 5 3
鬼のようなバランスに気も狂わんばかり。ゲームスタート直後に出会った敵にHPの2倍のダメージを食らうとは! スライムベスに惨殺されたような感じなり。無駄なセリフも多くて「なにをすべきか」がはっきり見えてこないのも不親切。地面にへばりついた敵もなんだか妙だ。(TACOX)

ロックンロールレーシング
7 7 8 7
ゲームの内容は、古い例えをすると『R.P.M.レーシング』なんだけど、グラフィックがシブいし、'70年代のロックがBGMってのもなんともいえずよい感じ。「ぼぉぉんとぅびぃ……」なんて口ずさみながらドリフトして撒いてジャンプしてると非常に楽しい。演出の勝利といえましょー。(TACOX)

スーパーピンボール ビハインド ザ マスク
8 6 7 8
渋い! フィーチャーこそ数年まえよく見られたシンプルな構成だが、全体のデザインはまさしくピンボール。これをピンボールと言わずしてなんと言う! ボールどうしの当たり判定がないとか遅くなるとか不満はあるものの、中身は濃い。ピンボール好きでも遊べるピンボールゲー。(TACOX)



■ゲームデザイナーの履歴書

遠藤雅伸

遠藤雅伸氏のゲームデザイナー経歴は、大学新卒としてゲーム会社に入社するところからスタート。一見、最初っからゲーム関連の職業を志望していたようだが、さて、じっさいは……。



就職活動当初はテレビ局志望だった……
大学を卒業して、すぐにナムコに入社した遠藤氏。でも、じつは就職活動を始めたときから、ナムコ……というかゲーム業界を希望していたわけではなかったのだ。
「大学の専攻の画像工学科で、学生時代は写真を撮ったり、16ミリ映画を作ったりしていました。就職活動を始めたときも、それを活かして、テレビ関係の仕事をしようと思っていたんですよ。でも、テレビの世界には徒弟制度のようなものがあるそうなんですよね。新人はコードの巻き取りからスタートするみたいな。そんな話をいろいろ聞いているうちに、自分の性に合わないと思ったんです」
で、就職の路線変更した時点でもう12月。ほとんどの会社では、内定を出してしまっている。ここで遠藤氏は、ゲーム会社のナムコを受けに行くんだけど、もちろんナムコも新入社員の採用はすでに決まっていた。しかし、フトコロの広いナムコは、特別に遠藤氏の試験と面接を行い、一発で採用を決定したのだ。
「きっかけは、何か先端技術で遊んでみたいということでした。もちろんもともとテレビゲームが好きだったんですけど、この時点では、コンピューターに対する知識はさほどありませんでしたね。プログラムのことなどは、すべて入社してから覚えたんですよ」
ちなみに、いまでも映画などが好きで、一度は映画関係の仕事をやってみたいそうだ。

処女作『ゼビウス』の制作秘話!
「『ゼビウス』は、もともと穴埋めのC級作品だったんですよ。僕のような新入社員が担当するようなね。で、開発を進めているうちに、いろいろナムコ内部の人事異動などが重なり上司などが変わって、ソフトの方針が宙ぶらりんになったんです。そこで、じっさいに担当している僕たちの自由にやらせてくれたのが、社長と当時の開発部長なんですよ。あの判断があったからよかったんでしょうね」
ちなみにじっさいの開発期間は1年ほど。約半年間の新人研修を経て、入社2年目には『ゼビウス』を作り上げたのだ。


これはアーケード版『ゼビウス』がアメリカで発売される前に、現地のアタリの工場を見学したときのもの。遠藤氏はアタリのゲームのファンで、アメリカでは、ぜひアタリに生産を、と申し出たほど。

製品ではなく作品
ナムコで『ゼビウス』、『ドルアーガの塔』などのヒット作を産み出した遠藤氏。'85年には自らゲームスタジオを設立した。
「当時はテレビゲームは工業製品という作り方をされていたんですよ。これは当時から見て、30年前ぐらいのレコード業界と似ているな、と感じていました。最初蓄音機というものが発売されたとき、音盤というものはプレーヤの会社の社員が生録したものだったわけです。それがだんだんプレーヤーの会社から離れて、いろんな人が自分の音楽を音盤で作るようになって、初めて作品と呼ばれるようになったんですよ。同じことがゲームソフトにもいえると思いまして、ゲームソフトも作品として認められるには、ハードメーカーから離れるべきだと考えたんですよ。レコード業界もそうやって発展したわけですし」
さらにこの独立には、誰かがやらなければ、という思いもあったということ。ゲーム業界全体を、深く考えた選択だったんだね。

尻込みはするなよ!
チャンスは逃すな! 一見簡単そうに思えるけど、遠藤氏の場合は時期が遅れたけど、臆せずにナムコを受けにいったってことで大きなチャンスをつかんだといえる。
「ナムコで中村社長に出会ったことは大きなプラスになりましたね。『ゼビウス』という作品を自由に作らせてくれて、なおかつそのまま市場に出させてくれたのも、社長のゴーサインが出たからなんです。若い人を認めようという意識は、いまでも持っているようですし、社長には見習う点が多いですよ」

COMMENT

Name
E-mail
URL
Comment
Pass  *
Secret? (管理者にだけ表示)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。