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週刊化第2号 | '91年8月2日号






■歴史を作ったゲームたち


[※水野店長担当のコーナー。創刊初期に存在した『もう一度逢いたい』の復活版ともいえる内容だったが、1回か2回だけで終了してしまった]


クレイジークライマー

『クレイジークライマー』がゲームセンターに初めて登場したのは、昭和53年あたりじゃなかっただろうか。まだLoftも109もタワーレコードさえもなかった渋谷のゲーセンで、私はこの単純なビル上りゲームを、指の皮がめくれるまでプレーしていた記憶がある。
今でこそ、やれバーチャルリアリティーだ、やれ仮想現実だと騒がれてはいるけど、体で感じるプレー、汗を流して遊ぶ充実感を教えてくれたゲームは、この『クレイジークライマー』が最初ではなかったかと思う。
その『クレイジークライマー』がファミコンに移植されたのは、昭和61年。ファミコンブームが頂点を極める一歩手前の、希望に満ち満ちたころだった。
みなさんもご存じのように、初期のファミコンブームを作ったゲームたちは、みんなアーケードゲームからの移植ものだった。『ギャラクシアン』や『ギャラガ』、そして『ゼビウス』といった一連のナムコの作品。また、『マリオブラザーズ』だって、もとはといえばゲーセンのゲームだったのだ。
そーいったゲームたちが、まだゲームの種類がそれほど多くないころに手早く移植され、それなりの成功を収めてきたのに比べ、『クレイジークライマー』の登場はあまりに遅きに失した感があった。
ファミコンの登場から3年後。『クレイジークライマー』のかつての栄光を知る人たちの間にも、今さらリバイバルでもないでしょうといった雰囲気が漂っていたのも、歴然とした事実なのだ。
当時のニチブツの政治的判断を今ここでうんぬんするのはまったく無意味ではあるけど、『クレイジークライマー』シンパのひとりとしては、もう少し早い時点でファミコンデビューさせてあげていれば、また違った展開が見られたのではないかという気がしないでもない。
ただ今から思うに、、きっとあの独特の操作方法ね、あれをどうファミコナイズするかで、すごい悩んだんじゃないかと想像する。テーブル筐体の横からズボッと突き出た2本のスティック。あれが『クレイジークライマー』の顔だったもんなあ。それを上手く活かしながら移植することが課題だったわけで、そして産まれたのがI・Ⅱコントローラーの左右同時使用。ま、ある意味で苦肉の策ではあるけれど、よく考えてみれば、コントローラーの新しい使い方を提示した世紀の名案であったかもしれないのだ。
永遠の名作と呼ぶにはちと荷が重すぎるかもしれない『クレイジークライマー』。でも、'80年代を生きたゲーム小僧の胸の中には、しっかりと生き続けていくはずだ。
(水野店長/もう一度逢いたい)



■町内会


私のシークレットゾーン


国語の教科書に、無意識に描いたものです。我ながら不気味です。
(東京都 安井)


ぼくは美術で、10段階の8をとったことがあります。
(神奈川県 Y.J.ハロルド)



■アイドルスタジオ


高橋由美子







■NESIA!!


[※山本貴嗣の新連載。NESIA!!: eBookJapan]

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